ラカン

ラカン派界隈

症状の一般理論以降、ラカンは症状が持つ「象徴的意味の側面(症状の意味)」より「現実的享楽の側面(症状の根)」を重視する。精神分析がかなり進んでも人が症状を手放そうとしない理由は症状が持つ「現実的享楽の側面(症状の根)」に他ならない。 http:/…

中身カラッポの方が夢詰め込める

ではどうして中味がないものに惹かれてしまうのか。それは中味がない分、そこに思いを込めることができるからです。中味は自我が想像力で補うのです。つまり見えているものに思いを込めれば、そこに自分なりの価値が生まれるわけです。日本文化の特徴はサン…

新宮一成『夢分析』

人間になったということは、赤ん坊から見れば高い空のような、言語が飛びかう平面に躍りでたということを意味している。言葉を話せるようになったのだ、という自覚は、空に達したという感覚として登録される。空飛ぶ夢は、飛んでいる我々に、不思議な感じを…

樫村愛子「映画表現に見る現代社会の危機--ノワールとポストコロニアル(2)」よりメモ

『キッズ・リターン』以降、 北野武が創造する空間は、「移行空間」へと変わる。いきなり新しい対象や世界を構成することは、日本の文化や社会の中に「大文字の他者」および象徴的世界が不在であり不可能ゆえ、移行空間を設立するのである。『HANA-BI』の同…

倒錯者としての新自由主義者

例によっていい加減な思いつきなんですが… 神経症者にとって「去勢」は「真理の時宜」であり、それ(真理≒去勢以前の享楽)は常に「今ここ」を逃れ、いつも別の所にあるか、早すぎるか遅すぎるかである。しかし倒錯者において「去勢」は「真理の地点」である。…