倒錯者としての新自由主義者

例によっていい加減な思いつきなんですが…

 

神経症者にとって「去勢」は「真理の時宜」であり、それ(真理≒去勢以前の享楽)は常に「今ここ」を逃れ、いつも別の所にあるか、早すぎるか遅すぎるかである。しかし倒錯者において「去勢」は「真理の地点」である。倒錯者は、「去勢を被っていない身体の享楽」(というユートピア、あるいは真理)が存在すると信じ、それを果敢に追及する。そして、そこへと至るための実験・実践へと他者を巻き込むことで、その信仰を証明しようとする。だから倒錯行為の実演(実践)は、身体に享楽を呼び戻す術を「自分は知っているのだ」という(「他者」に対する)顕示・誇示の行為でもある。

■ - 偽日記@はてなブログ

↑何だかこのあたり、チリを「新自由主義の実験場」にしたミルトン・フリードマン一派を連想させないかい?

「去勢を被っていない身体の享楽」→「政府による規制を被っていない純粋な市場」というような・・・