『キッズ・リターン』以降、 北野武が創造する空間は、「移行空間」へと変わる。いきなり新しい対象や世界を構成することは、日本の文化や社会の中に「大文字の他者」および象徴的世界が不在であり不可能ゆえ、移行空間を設立するのである。『HANA-BI』の同僚刑事や『菊次郎の夏』の菊次郎が置かれている環境に見られるように、日本には何の文化的資源も知も存在しない。それゆえ彼はゆっくり進もうとする。
日本において昨今の公文書の隠蔽・改竄・破棄がそれほど問題視されていないのも“日本の文化や社会の中に「大文字の他者」および象徴的世界が不在”であるからなのだろうか?
権力や制度が想像的同一化を強いる日本社会
「空気読め」ってやつですかね・・・?