【メモ】ウィニコットの「偽りの自己」、フィリップ・K・ディック『ユービック』

何か似ていると思いませんか?

 

一方,偽りの自己の組織化は,「ある特定の環境の失敗に対して.個人がその失敗状況を凍 結することによって自己を防衛」 (1954b邦訳 p177強調は著者) している側面をもち,これは正常で健康なことと考えねばならない。それは本当の自己が,あたかも好ましい適切な環境が現れてくるのを密かに待ち望み,そうした環境 において,かつての環境の失敗を埋め合わせようと,好機を期しているかのようである。

https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/2113/

 

 最後にハヤカワ文庫版『ユービック』の浅倉久志による解説の末尾に引用されている、P・K・ディック自身の自作解題を紹介しておきたい。長くなるが引用する。この文章を読まなければ我々は『ユービック』の本質を本当には理解できないだろうからだ。  

「われわれは『ユービック』の登場人物のように、半生命状態にあります。われわれは死んでも生きてもおらず、解凍される日を待ちながら、冷凍睡眠に入っています。季節にたとえれば、これは人類にとっての冬であり、『ユービック』の登場人物たちにとっての冬なのです。……『ユービック』の登場人物たちの上を覆った氷と雪を融かすもの、彼らの生命の冷却を止め、彼らの感じるエントロピーを押さえるものは、グレン・ランシターが呼びかける声です。ランシターの声は、毎冬、地中の種子や根が聞く目覚めをうながす声にほかなりません。……『ユービック』では、時間が無力化され、もはやわれわれが経験するように線的な前進をしなくなります。登場人物たちの死によってこれが起こったとき、読者としてのわれわれと、ペルソナとしての彼らは、マヤのヴェール、すなわち、線的時間の曖昧なもやを取り去られた、この世界を見ることになります。時間は、あらゆる現象を結び合わせ、すべての生命を維持しますが、その活動によって、その下にある本体論的な現実を隠してもいるのです。」

スタニスワフ・レム「ペテン師に囲まれた幻視者」(5) - 玄文社主人の書斎