中島敦の病跡?

ともかくも、自分は周圍の健康な人々と同じでない。勿論、矜恃を以ていふのではない。その反對だ。不安と焦躁とを以ていふのである。ものの感じ方、心の向ひ方が、どうも違ふ。みんなは現實の中に生きてゐる。俺はさうぢやない。かへるの卵のやうに寒天の中にくるまつてゐる。現實と自分との間を、寒天質の視力を屈折させるものが隔ててゐる。直接そとのものに觸れ感じることが出來ない。はじめはそれを知的裝飾と考へて、困りながらも自惚れてゐたことがある。しかし、どうもさうではないらしい。もつと根本的な・先天的な・或る能力の缺如によるものらしい。

中島敦 かめれおん日記

 

Modell(1975,1984)は,これを 「繭 (cocoon)」の中にいることにたとえている。これは,患者が他者と隔絶 してお り,自分の状態を繭またはプラスティックのシールドの中にいるようだと表現することからModellが用いる比倫である。そして,Model(1975)によれば,この自己充足性は,他者とのコミュニケーションにおける強固な「感情遮断(affectblock)」 を伴っている。Modellによると,winnicott(1960a)は 「感情の体験と共有が 自己感覚の組織化を助ける,言い替えれば本当の感情を共有できないことによって人は自己を隠すようになる」 という理解 をもっていたが,Modellは,このwinnicottの見解と自分自身の観察を結びつけて,自己愛性パーソナリティは本当の感情を他者に伝えることができないだけでなく,自分自身の感情体験から切り離されていると結論する。

 

Kohutの自己愛性パーソナリティ障害論の批判的検討

https://core.ac.uk/download/pdf/12527406.pdf