「巧みなおしゃべり、感覚主義、刹那(現在偏重)主義、変身性、非自立性、虚実(遊びと現実)のけじめの喪失など」

鈴木茂は、安永論文が書かれてからほぼ20年が経過した現在、精神医学の世界では境界例概念は退潮し、そのかわりに「スキソイド・自己愛・心的外傷・人格の多重化・間主体性といった諸テーマ」が浮かび上がっているという。しかし、これは安永の議論の価値を損なうものではない。なぜなら、「これらの患者に共通する訴えは、境界例患者と同様に、「生きていることのむなしさ』であり、仲間集団や家への帰属意識の困難ないし皮相性であり、ほぼ同一の問題がそれぞれ別の視点から追求されている」ということだからである(鈴木前掲書「新装版にあたってのあとがき」))。

問題の核心が、ここには、この上なく明瞭に引き出されている。「生きていることのむなしさ」。鈴木は、「巧みなおしゃべり、感覚主義、刹那(現在偏重)主義、変身性、非自立性、虚実(遊びと現実)のけじめの喪失など」、現代日本社会の特徴が、境界例患者の特徴そのものであると指摘し、こうした類似が生じる理由を、現代の日本人がみな「多かれ少なかれ境界例患者に類似した内的空虚感をかかえこんでいる」ことに求めている。

http://www.isc.meiji.ac.jp/~fj/Bulletin_21.pdf