デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ』 原因となる喜び

 

 はやくも一九〇一年、ドイツの心理学者カール・グロースは、幼児はみずからが世界に対して予測可能な影響を与えられることにはじめて気づいたとき、並々ならぬ幸福感を表現することを発見している。その影響の具体的内容も、自分になにか得があるかも、なにも関係がない。幼児の発見とは、いわば自由に腕を動かせば鉛筆が転がるといった事態である。さらに、同じパターンの動作をくり返すことで、同様の結果が得られることにも気がつく。すると、歓喜(ジョイ)の表情があらわれるのだ。グロースは「原因となる喜び(the pleasure at being the cause)」という表現を考案し、それこそが遊びの基礎なのだと主張した。彼は〔権〕力(powers)の行使とは、その行使それ自体が目的だと考えたのである。

 人間の動機をより一般的に理解するにあたって、この発見のもつ含意には豊かなものがある。グロース以前、ほとんどの西洋政治哲学者――のちには経済学者や社会科学者――たちは、人間が権力を求めるのは、制服や支配への生来の欲望のためか、さもなくば物理的な充足や安全、繁殖のための資源を確保したいという純粋に実践的な欲望のためだと想定しがちであった。グロースの研究結果――それは一世紀にわたる実験の証拠によって確証されてきた――は、ニーチェが「権力への意思」と呼んだものの背景に、もっと単純な何かがあるのではないかと示唆している。子どもたちが自分自身の存在や、自分が周囲から区別されてあることを了解するにいたるには、なにごとかを惹き起こし、その原因を「自分」と認識することがまず必要なのである。そして、その原因たるを証明するのは、くり返し同様のことができるという事実である。

上記のようなことが人がコンピューターゲームに夢中になる根本的な理由ではないだろうか。

自分がコントローラー等のボタンを押すことで、画面に映った映像に変化を与えられるという・・・。