「禁止」を解除することの危険性とニーチェの狂気

 

もう一つ,「自己啓発セミナーの危険性」論文を紹介しておこう。この論文 が「主体の他者依存性」概念のもつ批判力を表現しているからである。自己啓発セミナーは,親との関係で獲得し内面化した道徳的禁止や理想が心理的問題を生み出していると考える。だから,問題解決のためには,禁止や理想の出自を主体自身が意識化しなければならない。そこでセミナーは,幼児期における親との関係を意識化させるために,エンカ ウンターなどの技法を用いる。実はこれらは精神分析の前提と方法でもある(精神分析では自由連想 法や抵抗・転移の解釈を用いるという違いがあるが)。 両者とも幼児期の禁止をいったん解除しようとするのである。しかし,この禁止を解除することは,幼児的な全能感の開放につながる。この幼児的全能感に対するスタンスが両者では異なる。精神分析は「主体の他者依存性」を徹底的に認識させ,具体的な他者(分析家)との関係を通じてその認識を維持し,幼児的自己全能感を「断念」させようとする。一方のセミナーはそのような「断念」のチャンスを与えない。そのために,自我構造の崩壊を招いたり,自己全能感ないしその反転である他者全能感を膨張させる危険性をセミナーははらん でいる。そう著者は指摘する。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsr1950/50/3/50_3_409/_pdf/-char/ja

 ニーチェが「道徳・倫理・キリスト教」をあれほど嫌ったのは「禁止」に対する忌避感からだった、という見方もできるのではないだろうか?(そりゃできるだろうけど)

 晩年のニーチェが陥った「狂気」も「禁止」を解除した結果、「幼児的な万能感」が解放され、「自我構造の崩壊」を招いたもの、と見ることもできるのではないだろうか?(いや実際は梅毒による脳の損傷によるものなんでしょうけど)