ニーチェ、幼児的な全能感の開放による自我構造の崩壊→発狂

もう一つ,「 自己啓発セミナーの危険性」論文を紹介しておこう。この論文が「主体の他者依存性」概念のもつ批判力を表現しているからである。
自己啓発セミナーは,親との関係で獲得し内面化した道徳的禁止や理想が心理的問題を生み出していると考える。だから,問題解決のためには,禁止や理想の出自を主体自身が意識化しなければならない。そこでセミナーは,幼児期における親との関係を意識化させるために,エンカウンターなどの技法を用いる。実はこれらは精神分析の前提と方法でもある(精神分析では自由連想法や抵抗・転移の解釈を用いるという違いがあるが)。両者とも幼児期の禁止をいったん解除しようとするのである。しかし,この禁止を解除することは,幼児的な全能感の開放つながる。 この幼児的全能感に対するスタンスが両者では異なる。精神分析は「主体の他者依存性」を徹底的に認識させ,具体的な他者(分析家)との関係を通じてその認識を維持し,幼児的自己全能感を「断念」させようとする。一方のセミナーはそのような「断念」のチャンスを与えない。そのために,自我構造の崩壊を招いたり,自己全能感ないしその反転である他者全能感を膨張させる危険性をセミナーははらんでいる。そう著者は指摘する。 

 

< 書 評 >
樫村愛子
ラカン社会学入門-現代社会の危機における臨床社会学』 

森真一

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsr1950/50/3/50_3_409/_pdf/-char/ja

 

あとで書く

王子神経症(prince neurosis)とは、精神発達過程のエディプス期(男根期:4~6歳頃)において、幼児的全能感を去勢できなかった未熟な人格状態であり、何でも自分の思い通りになると妄信して他人に自己顕示的な振る舞いやわがままな態度を取る神経症的な病態でもある。王子神経症とはその名称が示すとおり、最高権力者(国王)の後継者としての王子のような取り扱いや対応を当然の権利として求めるようなパラノイア的(妄想的)な神経症状態といえる。  自分が他者から特権的な優遇や最高度の尊敬を得ることが当たり前と思っている為に、『他者の権利や感情』に配慮した人間的な共感が出来ず、『社会的文脈や対人関係』に適応した常識的な態度を示すことが出来ない。王子神経症とは、シグムンド・フロイトが定義したエディプス・コンプレックスの克服に失敗して、善悪の判断基準(道徳規範・良心)を司る『超自我(superego)』を形成できなかった病的で幼稚な人格状態で、何をしようとも自分が罰せられることなどないと慢心している人物を指す概念である。

(…)

幼児的全能感の残存を示すものとして、自分よりも上位の社会規範や権威的存在を承認しないという特徴があるが、王子神経症者は一般的にリビドーを自己自身に備給する『自己愛(ナルシシズム)』が強く、『誇大自己』のベクトルへと発達が歪められることが多くなる。

[王子神経症(prince neurosis)とナルシシズム(自己愛)の克服]: Keyword Project+Psychology:心理学事典のブログ