「『丸山眞男』をひっぱたきたい」赤木智弘さんに見るコミュニタス(コムニタス)への願望

イニシエーションにおける善性を求める欲望の発動は,そのひとつの現れとして,V・夕一ナーのいうコミュニタスを成立させる.コミュニタスとは,身分や地位の分化をともなう社会構造の次元を超えて,諸個人が全人格的に対時する,自由で平等な人間関係のことである17〕.ターナーは,イニシエーション儀礼の修練者を,コミュニタス的特性を帯びる存在の1例としている.
 イニシエーションのさなかで死を経験し,原的責任に直面する修練者は,イニシエーションの通過後には,濃密で重層的な象徴的秩序のネットワークに統合される.ここでは,イニシエーションを通して獲得された善性を求める欲望の力を背景にしつつも,象徴的秩序によって規定される地位や役割に応じた承認の追求への欲望が支配的となるのである. 

境界例」と現代社会における欲望 - 早稲田大学リポジトリ

ttps://waseda.repo.nii.ac.jp/record/23542/files/100094_07.pdf

 

タイトルにもある丸山眞男は、戦時中に陸軍に徴兵されて二等兵となった折に、階級が上の上等兵からハラスメントを受けていたとされる。赤木はこれを、戦争によって既存の序列が崩れた例として挙げ、無学であろう上等兵が東大卒のエリートの上に立てたのだから、赤木らにとっても戦争は現状をひっくり返す希望の光であるとしている。

赤木智弘 - Wikipedia

 

赤木さんの↑のような発言って、一般に(どこだ?)「妬み」「劣等感」「ルサンチマン」等によるものとして解釈されるんだろうけど(?)、コミュニタス=「身分や地位の分化をともなう社会構造の次元を超えて,諸個人が全人格的に対時する,自由で平等な人間関係」的状況の到来への願望でもあったのではないだろうか?