三島由紀夫とコフートの理論

何か関係ありそうじゃないでしょうか

 

 自分では十分俗惡で、山氣もありすぎるほどあるのに、どうして「俗に遊ぶ」といふ境地に成れないものか、われとわが心を疑つてゐる。私は人生を殆ど愛さない。いつも風車を相手に戰つてゐるのが、一體、人生を愛するといふことであるかどうか。

果たし得てゐない約束——私の中の二十五年 三島由紀夫|みつうろこ

 

 誇大自己は心的装置の他の部分から解離されてできたものである。「顕示的な衝迫や誇大な妄想は、このように隔離された分割され否認/抑圧されためめであり、これが現実自我の修正的影響を受けるということは非常に困難である」(129-130頁)。これにより生じる主要な心的不全として、

 

(略)

 

②健康な自己評価の能力が低下し、活動や成功を自我親和的な楽しみとする能力が低下する。これは、自己愛リビドーが非現実的で無意識的あるいは否認的な誇大空想に結びついており、また分割/抑圧されている誇大自己の生の顕示性にも結びついているためである。

自己の分析:鏡転移 - ミズラモグラの巣で