蟹嫌いの三島由紀夫と海老・蟹嫌いのサルトル 🦀🦐😱

サルトルのエビ・カニ嫌いは有名である。彼は甲殻類を、この世のものならぬ「別世界のも の」「別の宇宙から盗んできたのだ」と言っている。

 

ジャン=ポール・サルトルに関する病跡学的試論 https://www.jstage.jst.go.jp/article/shukulib/40/0/40_KJ00007139719/_pdf/-char/ja

三島由紀夫に関する病跡学的試論

https://www.jstage.jst.go.jp/article/shukulib/41/41/41_35/_pdf/-char/ja

 

↑の2つの論文で著者の中広全延氏はサルトル三島由紀夫をそれぞれ「自己愛」の観点から論じている。

 

三島由紀夫は蟹が嫌い

 

カニ・エビ(の一部)→ハサミ→去勢→幼児的万能感の断念?

 

三島由紀夫サルトルが嫌いだと公言(近親憎悪?)

 

伊勢エビの追跡や襲撃を妄想と考えることは、筆者が見ることのできた文献の範囲で、サルトルボーヴォワールの記述と矛盾しない。それどころか、伊勢エビ追跡妄想説を補強してく れそうな文献が存在する。それは、ボーヴォワールが編纂したサルトルの書簡集[21]に収め られているルイーズ・ヴェドゥリーヌ宛の手紙で、日付は1939年8月土曜となっている(下の 引用のカッコ内は原文)。 「ぼくの恋人 ……きょう夕方また、例の一キロ遠泳をやった。だが、五〇〇メートルほど行ったところ 〈獣〉がこわくなった。これは話したことがあるね。水の底に住む例の恐ろしい獣だ。そ れが巨大な蟹のようなはさみを持ち上げて、その十二対の足の方へぼくを引き寄せるので はないかと想像するのだ(J'imagine que ……)。それでぼくは〈獣〉から逃れるために、 また自分から逃れるために、全速力で、プロペラ運動にたよって、五〇〇メートルを泳い で帰ってくる。その結果が見事なスコア。強迫観念(l'obsession)のことは心配しなくて いいよ。これは半信半疑(c'est du demi―cru)、一種の精神衰弱患者(psychasthéniques) の思い込み(croyances)なのだから。それにしてもこれはしつこい。ぼくが海にひとり でいるとやってくる。それ以外はやってこない。……」

ジャン=ポール・サルトルに関する病跡学的試論 https://www.jstage.jst.go.jp/article/shukulib/40/0/40_KJ00007139719/_pdf/-char/ja

 

やっぱりハサミ・・・

 

 

三島は,多くの人が語るように(澁澤1986; 佐伯,1988),蟹が嫌いであったという。それはまた否定的な鎧であり,去勢する大きな鋏を持った,あのCardⅣに見たような「性器が花になった怪物」,祖母・夏子のイメージなのではなかろうか。三島はこ うした恐怖症を生涯,本質的には乗り越えられなかったのではないか。安藤(1987)には,下田の東急ホ テルで,海が怖く(三島は泳げなかった)三島の子どもがどう勧めても海に入らない筋骨隆々たる三島の 無惨な姿が描かれている。

お茶の水女子大学教育・研究成果コレクション “TeaPot”