ロバート・バートン『憂鬱の解剖』 和訳PDFファイルへのリンク

「ロバート・バートン『憂鬱の解剖』第1部 第1章 第1節」

https://kpu.repo.nii.ac.jp/records/4169

 

「ロバート・バートン『憂鬱の解剖』第1部 第1章 第2,3節」

https://kpu.repo.nii.ac.jp/records/4185

 

ロバート・バートン『憂鬱の解剖』第1部 第2章 第1節

https://kpu.repo.nii.ac.jp/records/4565

 

ロバート・バートン『憂鬱の解剖』第1部 第2章 第2節

https://kpu.repo.nii.ac.jp/records/4580

 

ロバート・バートン『憂鬱の解剖』第1部 第2章 第3節 第1-10項

https://kpu.repo.nii.ac.jp/records/4594

 

ロバート・バートン『憂鬱の解剖』第1部 第2章 第3節 第11-14項

https://kpu.repo.nii.ac.jp/records/4608

 

ロバート・バートン『憂鬱の解剖』第1部 第2章 第3節 第15項

https://kpu.repo.nii.ac.jp/records/4623

 

ロバート・バートン『憂鬱の解剖』 第1部 第2章 第4節 第1-6項

https://kpu.repo.nii.ac.jp/records/56

 

ロバート・バートン『憂鬱の解剖』 第1部 第2章 第4節 第7項-第5節、第3章 第1節 第1・2項

https://kpu.repo.nii.ac.jp/records/106

 

ロバート・バートン『憂鬱の解剖』 第1部 第3章 第1節 第3・4項–第3節、第4章

https://kpu.repo.nii.ac.jp/records/6075

 

ロバート・バートン『憂鬱の解剖』 第3部 第1章 第1節 第1項‒第2節 第2項

https://kpu.repo.nii.ac.jp/records/6128

 

ロバート・バートン『憂鬱の解剖』 : 第3部第1章第2節第3項-第2章第2節第1項

https://kpu.repo.nii.ac.jp/records/6186

 

ロバート・バートン『憂鬱の解剖』 : 第3部第2章第2節第2-3項

https://kpu.repo.nii.ac.jp/records/6202

 
ロバート・バートン『憂鬱の解剖』第3部 第2章 第2節 第4−5項

https://kpu.repo.nii.ac.jp/records/6228

 

ロバート・バートン『憂鬱の解剖』第3部 第2章 第3節 第1項

https://kpu.repo.nii.ac.jp/records/6262

 

ロバート・バートン『憂鬱の解剖』第3部 第2章 第3節 第1項 (承前) : 第5節 第4項

https://kpu.repo.nii.ac.jp/records/6340

 

 

第2部は無いのかな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「支配感覚の回復」としてのRPG(ロールプレイングゲーム)

 大事になるのが、遊び、のもつ意義である。この年齢での遊びは、支配感覚の回復という幼児的な様式を表している。子どもが自由にできるオモチャの世界は、子どもたちが作り上げた港であり、自分の自我を修復する必要があるときにはこの港に戻る。オモチャの、物の世界は、それ自身の法則を持っている。子どもはオモチャの世界を支配する喜びを通して、現実の世界を支配する段階に向かって前進していく。その過程は、実験,計画,他者との共有などによって、子どもたちが自らの経験を支配するための様式を含んでいる。さらに、オモチャの世界を支配する喜びは、遊びやオモチャに投影される、葛藤の支配、そしてそれらの支配を通して獲得される、威信、へと繋がる。

「自我同一性」EH・エリクソン(5) | 精神分析学講座 (nakamoto-masatoshi.com)

コンピューターゲームRPGのゲームプレイは、最初無力な状態(レベル1)の主人公=プレイヤーが徐々に支配感覚を回復していく(主人公(たち)のレベルが上がり当初強いと感じた敵も弱く感じるようになる・行動範囲が広がるなど)過程と言えるのではないだろうか?(ビデオゲーム全般に言えることかもしれないが)

そして、プレイヤー=主人公の支配欲はゲーム世界のラスボス(世界征服(支配!)を目論む魔王など)に投影されていると。

 

太宰治「春の盗賊」、クリストファー・ボラス『対象の影』第10章「虚言者」

 

次に物語る一篇も、これはフィクションである。私は、昨夜どろぼうに見舞われた。そうして、それは嘘であります。全部、嘘であります。そう断らなければならぬ私のばかばかしさ。ひとりで、くすくす笑っちゃった。

図書カード:春の盗賊

 

 嘘を通じてしかパーソナルな現実を感じられず、嘘を通してしか現実感が湧かない人がいる。 虚言者の嘘は、メタファーなのである。

(…)

嘘には二つの階層がある。

一つ目は、恐怖から解放されるための嘘である。

二つ目は、生き生きとして勝ち誇った感覚と自信が伴う嘘である。

(…)

 嘘は虚言者に、生きている実感を与え、一貫性をもたらし、虚無に命を与える行為なのである。 彼らは、環境に無慈悲なところがあることを、うすうすと気づいている。

in and out program | 虚言者

 

父は仕事で多忙な日々を送り、母は病弱だったため、生まれてすぐ乳母に育てられた。その乳母が1年足らずで辞めた後は叔母のキエ(たねの妹)が、3歳から小学校入学までは14歳の女中・近村たけが子守りを務めた。

太宰治 - Wikipedia

 

 色々な人に養育されることよって、客観的に認識された対象と、幻想上のニードと欲望の法則に則った対象と、体験を持つようになる。 現実の生きた体験の欠落によって生じた隙間を埋めるため、代わりの世界を作り出さざるを得なかった。 一つの対象との満ち足りた体験を発展させることが出来るのは、幻想の中だけであった。 対象のこの二種類の体験様式は代替可能な、ほぼ等価な実存状態にあり、嘘は第二の体験様式から生まれる。 嘘をつく目的は、自己と対象の体験様式のもう一つの階層として、虚言が現実の両親の不在から立ち直らせてくれるよう機能するからである。 両親との幻想上の関係を取り戻す機能は、実在の両親それぞれとの関係よりずっと大事なものとなる。 虚言者の嘘は、単に幻想することではなく、現実との別の関係を生み出すのである。 つまり、虚言行為は、外の世界との関わりをもつうえで、単に現実を吟味する方法であるというだけでなく、現実を用いたり現実がもたらす快適や喜びの要素を発見するための方法でもあるので、嘘を手放すことは現実検討の放棄に等しいと思われる。

in and out program | 虚言者

 

 

雑草・刈り草液肥の作り方

ネタ元

https://www.motherearthnews.com/organic-gardening/gardening-techniques/homemade-fertilizer-tea-recipes-zm0z11zkon/

https://www.motherearthnews.com/organic-gardening/gardening-techniques/liquid-fertilizers-zm0z11zhun/

・バケツにバケツの2/3量まで刈り草を入れ、水で満たす

・1日1回かき混ぜ3日間置く

・できた液体を同量の水で割り植物にやる

・1~2日以内に使い切る

・使う頻度は2週間に1回まで