加藤敏『職場結合性うつ病』 ハンス・アスペルガー クラーゲス

筆者は現代社会自体が、人間にそなわる自然な感情(情動)と直感を排して、量と論理をなによりの思考の基準とする「操作的思考」が優位になっている点で、アスペルガー症候群に親和的な布置をもっていることを、ハンス・アスペルガーの原典にあたりながら最後に指摘したい。

 彼はアスペルガー症候群の概念の原点となる自閉性精神病質の基本障碍として「生命の反対者(Widersacher)としての精神」(Geist als Widersacher der Seele)という思想家クラーゲスの意味深い言葉を引用しながら、「欲動と精神の間の正しい調和」(richitige Harmonie zwischen Trieb und Geist)が欠如していることを挙げる。この定式は、要するに感情(情動)と論理(言語)の間の著しい不均衡に注目したものにほかならない。アスペルガー症候群において、高いIQと他人の感情を理解する情動知能(emotional intelligence)の間にある大きな隔たりがその裏付けとなるだろう。

 クラーゲスの思想の基礎にあるのは、この世に生まれ一個の主体であることを要求される人間は「自然との裂け目」をこうむり、動物、植物が属する大自然の「普遍的生命から閉め出されている」という考えである。そして人間世界、また言語世界に入場した人間は、この「裂け目」を出発点にして、他者ならびに言語との関係において自己を確立することを要求される。この際、言語は自然な生命の流れにおいて「抵抗物」なのである。付け加えれば、親が子どもに対し、自己の所有物であるかのように接する管理的視線は、子どもの生命の流れにとって「抵抗物」になることもあるだろう。