【抜き書き】『〈死の欲動〉と現代思想』トッド・デュフレーヌ

 

 精神分析という中立的な鏡が眩暈を起こすような姿見となり、かつそうでつねにありつづけ、『エクリ』とフロイトの夢の本が旧約、新約の聖書なのであるとすれば、ラカンフロイト精神分析的な大義という集団(心理的な)効果において完全に断片と化した主体という症状を解消する(resolves)、すなわちばらばらにする(dissolve)だけの権威主義的な処方箋しか出していないことになる。というのも結局のところ、みずからの主体たりえぬ者は、誰か他者の主体になりうるからである。つねに、入門(admission)の代償は他者の使命(布教)(mission)への従属(submission)である。

 

 自殺のような人間の苦しみにたいするフロイトの軽侮ないし無神経はときとして周囲の人間にはショックであったが、ロウゼンの研究はその点多くの論証をしている。一時はタウスクの愛人であったルー・アンドレーアス=ザロメ宛の手紙でフロイトは毒を吐きまくる――「ほんとうに彼〔タウスク〕の死は何でもありません。彼を役立たずと思ってから久しいですし、実際、精神分析の未来に対して脅威となる男でした」(Rozen 1969:140)。他の書簡ではこう言い放つ――「彼の才能はわかっていたけれど、本当の同情はまったくないね」(Freud and Ferenczi 1996:363)。ここにはあるパターンがある。ザックスは「永年友人であった人間の自殺の報せが来た」ときのフロイトを詳しく観察しているのだが、こう言っている――「フロイトはそのような悲劇的な出来事にも不思議なくらい動じなかった」(1945:147)。はっきりしていることは、フロイトが、冷血漢とはいかないまでも冷淡であったということだ。

 

 いずれにせよ、ブルーメンベルクは、死の欲動をめぐるフロイトの理論化の作業のほんとうのところはタウスクの自殺の責任を拒む術であったというロウゼンの主張を裏づけているように見える。

 

 ここで言っておく価値はあると思うが、フロイトの新理論に顕れている暗い気分が(たとえ無意識的ではあっても)癌と関連があった、と疑う者はベイカンただ一人というわけでもない。ヴィルヘルム・ライヒなども、一九二〇年代初めにフロイトのなかで募っていった諦念と癌の進行に関連を見ていた。

 

さらに正確を期せば、フロイトにとって子供の「もっとも根源的な対象選択」は、つねに、例外なく、父親であったのである。(Freud 1918: 27)。

 

一九三二年八月四日の『臨床日記』でフィレンツィが語るところでは、フロイトは直近の取り巻きにこう認めたそうだ――「神経症患者など、われわれを経済的に潤し、症例研究の機会を与えるしかないろくでなしで、精神分析は治療法としては無価値である」(1932: 185-86; Dufresne 1997aも参照)。

 

一例を挙げれば、ラカンは終始一貫してフロイトにおける生物学的なものを認めず、まったく説得力がないのだが、こう主張する――「フロイトの生物学はいわゆる生物学とは何の関係もありません。ホメオスターシスに準拠していることからあきらかなように、フロイトのしようとしていることはエネルギーの問題を解決することをめざして象徴を操作することです」(75)。ラカンの主張するこういったフロイト像は、フロイトの著作によって論証されないし――ちなみに、そこからラカンはほとんど引用しないのだが――『彼岸』が書かれたこみ入った知的コンテクストからも指示されることもないのだが、こういった主張は大胆ではあるがじつに困ったものでもある。ラカンフロイト像はフロイトフロイト自身から救い出しながら、たんに精神分析の歴史を糊塗していることになるのだが、それは自我心理学的フロイト観と同断である。実際、両者ともフロイトが不思議なくらいに独自な形でみずからの理論を発展させてきたのだと過大評価する傾きがあり、そこに一貫して読みうる生物学主義を軽視しようともしてきた。

 

もっと大ざっぱに言えば、ラカンはマルクーゼと似ているわけで、二人ともフロイトフロイト自身の問題点、理論家としての限界から救い出そうと腐心しているのであるが、そのじつ、彼らはお気に入りの身勝手な議論をフロイトの理論に積み上げているだけである。

 

 リクールの批判が『彼岸』の研究文献一般に当てはまるのだとしても、同時にこれはラカンに対する辛辣な一言でもあるように思えてしまう。ラカンだって、ひとつまみのハイデガーカップ一杯のヘーゲルを足すことなど、平気でするのだから。これはじつに当を得た批判であって、七〇年代初頭にデリダがしきりにくり返すことになる。

中島敦「かめれおん日記」の以下の部分を想起・・・

❝博物の教師のくせに博物のことはろくに知らず、古い語學を噛つて見たり、哲學に近いものを漁つて見たりする。それでゐて、何一つ本當には自分のものにしてゐないだらしなさ。全くの所、私のものの見方といつたつて、どれだけ自分のほんものがあらうか。いそっぷの話に出て來るお洒落鴉。レヲパルディの羽を少し。ショペンハウエルの羽を少し。ルクレティウスの羽を少し。莊子や列子の羽を少し。モンテエニュの羽を少し。何といふ醜怪な鳥だ。❞

 

ラカンが大活躍する当時のフランスで頭角を現すために、他人の意見を片っ端から拝借するようなことをリクールはおそらく潔しとはしなかったのだろう。

 

 他者を個人の実存の意味ある部分として唯我論的に斬って捨てるフロイトの態度は、そういう次第で、彼のメタ心理学的世界観の本質的な特質となる。たとえば『彼岸』六章でフロイトが細胞体の再生産と死滅をめぐる生物学的文献について、熟読すればするほど当惑するしかない見解を述べているときなどにそれが露骨である。そこでフロイト有機体の存在にとっていかなる他者に依存することも一義的には重要ではなく、この議論のために合体(もっと大ざっぱにいえば再生産)の役割を最小化している。

 

 

「原注」より、ボルク=ヤコブセンによるラカン派批判

ラカン派の面々ときたらラカンの最新の断言をオウム返しにし、同じ服装に身をつつみ、文章の真ん中でため息をつく癖までを模倣し、同じ葉巻を吸うなど、ひどいものだった。これではたんなる逸話にように原文ママ聞こえるかもしれないが、じつは根本的な問題を惹起する。なるほどラカン派の分析の目標は、鏡像的な「分身 alter ego」への「想像的」――すなわち同一化した――疎外から欲望を解放することにある。ラカン自身も「一九五六年における精神分析の状況と精神分析家の育成」という論文で精神分析の協会を鋭く批判するのだが、その根拠はそれがこのような同一化した団結に立脚しているからで。これに代わって彼が提案するのは「死せる父」(つまりフロイトのテクスト)との純粋に「象徴的な」契約に準拠することである。それならば、彼自身の学派がこれと正確に同一の模倣的なメカニズム、その多くが戯画にもなるようなこのメカニズムに毒されているという事実をどう説明することができるのか? これが意味するのは、同一化という要素からなる転移関係を分析が解消することができないということではなかったのか? さらにこれはラカン派がいう「欲望」とか「主体」や、「想像的な」同一化とそれらの差異であると彼らが見なすものに関して、厳しい疑問を提起してはいないだろうか?

 

 エレンベルガーはこう言う――「古典的な対立はエロス=ネイコス(愛と憎悪)とビオスとタナトス(生と死)であってエロス=タナトスではない」(1970: 515)。生と死の欲動へ言及することはエロスとビオスの相違を無視することになる。