芝伸太郎『日本人という鬱病』

シュルテは「自分の治療した鬱病患者の大半(九〇パーセント近く)が(健康時のみならず)病相期においても本質的には宗教に対して無関心であった」と述べている。さらに、彼は「元来それなりの宗教心を持っていた者でさえ、病相期にはその関心を失うような傾向が認められた」と述べている。

(P146)

 

日本語の「罪」の意味するところは実は「シュルデン(借金)」に非常に近いものなのである。「体調を崩して相手との約束が果たせなかったこと」も「故意に相手を傷つけること」も、額の大小はあるものの、ともに借金に過ぎないのであって、だからこそ、どちらに対しても「すみません」という同じ言葉で後始末をつけられるのである。「どんなに大きな過失を犯したとしても、それが強烈な借金性を帯びている以上、何かで埋め合わせさえすれば、その過失の《歴史性》が跡形もなく消えてしまう」という日本人の過失一般に対する態度は、もっと大きなスケールで眺めてみれば、日本人の歴史認識のあり方にも如実に現れているものと思われる。(P158)

日本人の戦争犯罪に対する考え方にも影響を与えているのではないだろうか? 

 

日本人という鬱病

日本人という鬱病

 

  

うつを生きる (ちくま新書)

うつを生きる (ちくま新書)