安岡章太郎『文士の友情』

 繰り返して言うが、吉行や私たちにとって、戦争は特殊な時代ではなかった。というより“戦後”は戦時中に準備されていたものだ。例えば戦後民主主義といわれるものは、アメリカ占領軍によって与えられたものに違いない、しかし民主主義の根にある平等観は、何よりも戦時中にはじまった食糧の配給制度から生れたもので、全国民が一律に同じものを同じ量だけ配給を受けるということは、この国に昔からあった階級差が一挙に取り払われたと言っていい。食糧だけではない、戦後の性道徳や秩序の紊乱といったことも、みんな戦争中に下拵えが出来ていたもので、敗戦後に急に日本人が堕落したわけでは決してない。

吉行淳之介の事」

 

 京都の法然院という古いお寺に橋本峰雄という貫主がいました。西洋哲学を学んで、大学でも教えていたような人ですが、彼も『大菩薩峠』をよく読んでおりまして、登場人物の多くが、「ああ、死にたい」「早く死んでしまおう」と嘆き訴えることに注目しました。彼によると、「死にたい」 というのは日本人にとって自然の欲求、人生の究極的心情なんですね。橋本さんは、日本人が本当に心を和ませることのできるのは、故郷へ帰りたいという気持ちと、「死にたい」という気持ちだ、と言っています。僕は、この意見に全く賛成なのです。僕自身は転勤の多い家庭に育ったから故郷などないような人間ですが、故郷へ帰りたいという気持ちは常に持っている。酔っ払うと、ああクニに帰りたいなあ、とよく思うんです。でなければ、ああ死にたいなあと思う。

「夕方の景色」

 

文士の友情: 吉行淳之介の事など

文士の友情: 吉行淳之介の事など